双羽黒最大の悲劇、それは部屋選びだったのではないでしょうか?
もっと言えば部屋と、そして師匠。

事件当時(それ以降もですが)は、双羽黒がすべて悪いという風潮でしたが、
その後、旭豊への部屋継承時のいざこざを通して、
世間の事件への受け取り方が少し変わったようにも思えます。
この親方、角界内ではあまり評判が良くなかったようで、
どうやら全て双羽黒が悪かったわけではないという意見も出てきました。

長身からなる懐の深さとスケールの大きな取り口。
そして24歳という若さ。
立浪部屋が輩出した偉大なる二人の横綱、
「双葉山」と「羽黒山」を合わせたしこ名。
期待と素質は本物だったのでしょう。
事件の真相は闇の中ですが、相撲界が一人の逸材を失ったことは事実です。

その後、若手の対抗馬を失った千代の富士が53連勝で昭和を締め、
平成に入ってからも独走時代を続けたのは周知のとおりです。

もしもあの時、千代の富士よりも10歳近く若い双羽黒が残っていたら、
53連勝の偉業もなく、千代の富士時代はもっと早く幕を下ろしたかもしれません。
そしてその時、18歳でのちに伝わる世代交代の一番に勝利した
貴花田光司の前には、36歳の千代の富士ではなく
27歳の双羽黒光司が立ちはだかっていた可能性と、
取り組み内容を想像すると胸が高まります。
しかし、9歳しか離れていなかった二人の光司が交わることが
結局なかったことが、今でも残念でなりません。

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